
小曲の難しさを体現している
こういう小曲は意外と嫌いではない。激しくても静かでも、明るくても暗くても、何かしらのメッセージとインパクトを短い時間に閉じ込めなければならない。その凝縮のさせ方が非常にアーティスティックに感じられて好きなのだ。広告のために作られる曲などもそうだろう。十五秒、三十秒という枠の中で、商品の匂いと一瞬の高揚を聴き手の耳に焼き付けなければならない。大滝詠一が手がけた三ツ矢サイダーのCMソングがいまだに語られるのは、短さを言い訳にせず、その尺の中でひとつの世界を完結させていたからだ。 ロックの歴史を振り返っても、短い曲の名品は少なくない。ビートルズの「Her Majesty」はわずか二十数秒、アルバムの最後にふいに現れて唐突に途切れる。それでも聴き手の記憶に残るのは、あの「途切れ方」自体が演出として機能しているからだ。Wireの『Pink Flag』には一分に満たない曲がいくつも並ぶが、どれも「これで終わり」という意志がはっきりしている。短い曲が成立するかどうかは、長さではなく、終わり方に意図があるかどうかで決まるのだと思う。 本曲もおそらくその類に入るのだと思う。アップテンポのリズムで攻めてきたのはかなり意外で、「この流れでまとめられたら相当面白い」と期待したが、最終的には不完全燃焼で終わってしまった感が否めない。勢いよく走り出したのに、ゴールテープの手前で足を止めてしまったような、そんな印象が残る。 詞は非常に良い。傘を持つ手を「結界」と呼び、雨垂れにとってそれは「三途の川の渡し舟」になる。ひとつの日常動作を、雨粒の側から見た生死の境界へと反転させる視点の妙がある。「雨の降る日は天気が悪い」という、言われてみれば当たり前すぎて笑ってしまう同語反復を真顔で差し込み、「雨降って地固まる」をひっくり返して「土固まらず泥の縄」と泥縄へ落とす。言葉遊びの密度が高く、それでいて全体に乾いたユーモアと妙な寂しさが漂っている。この短い詞だけで、ひとつの作品として読めるほどだ。 そこにアップテンポを乗せてきたのも良い。湿った雨の情景を、あえて跳ねるようなリズムで駆け抜けるという選択には、詞の持つナンセンスさとの相性の良さを感じる。しかし、それを小曲としてまとめきれているようには思えないのだ。Pre-chorusで高めた期待は、本来どこかで解き放たれるべきものだ。ところが本曲は、その期待を受け止める場所を用意しないまま短いアウトロへと流れ込んでしまう。「Her Majesty」の唐突さが演出として成立していたのとは対照的に、こちらは「終わってしまった」という感触の方が勝ってしまっている。小曲の難しさはここにあり、醍醐味もまたここにある。 おそらくSunoでのセクションの振り方を工夫すれば改善するのではないかと思う。Pre-chorusというラベルは、構造上その先にサビが来ることを前提としている。最後の二行をフックとして独立させる、あるいはアウトロの前に短いブレイクを挟んで着地点を明示するなど、わずかな設計の差で「途切れた曲」は「閉じた曲」に変わるはずだ。詞とリズムの素材は十分に揃っている。だからこそ、次回作に期待したい。